BOOK DEPT. F.A.Z

quiet & happy asylum

記憶、郷愁、読書

宮本輝幻の光」を読む。能登に、行きたくなる。引き込まれるというのは、どうして自分がそんなことを望むのか、自分でも説明がつかない感覚と、対峙せざるを得なくなることなのだと、考える。

茫然とした影を散らすような、差しては引く頼りない光の中で、ただ生を淡々と務め暮らす、幸福の背中をじっと見つめたままの人々の姿。里を出た者にのし掛かる、血縁の薄れ行く淋しさと郷愁。

それは図らずも、死を想う、ということで。終われない人々で、生を、社会を、暮らしを、営む他なく。
その、そうせざるを得ない、という生き方の中で、それぞれが元いた場所へ帰る。挨拶も無く。ただ微かな、愛に似た顔の残像だけ、じっと覚えておく。それさえあれば、自分は歩き続けられると言い聞かせながら。

そんな読後感。

ちょうど祖父の事を考えていた。最後に会ったのが、つい昨日のような気がする。酒が好きで、僕のことをつとに愛してくれていた人だった。
棺に向かって最初に祖母の言った
おじいちゃん、あんたのこと大好きじゃったけえ、こっちまで悲しいなあやー
という声が、今だに蘇り、時折、離れない。思い出すと、今だに泣く。

それを聞いて、良かった、と思ったのは、卑怯なのだろうか。愛されていたことへの安堵。そして、残され後家となった祖母の、それでも他人に掛ける声のある強さと、悲しみ。泣いた後で、ごめんと、ありがとうを言った。自分が失望させたくない人のために、出来る限りやっていきたいという、少し後ろ向きな気もするモチベーションは、昔からある。そのやり続けることとして、今の仕事が純粋に好きで良かった。祖父は、僕の働いていることを、仕事を、誇ってくれていた。

誇りに思ってもらえ続けるよう。信じるものが、例えば過ぎ去ろうとしている残像だとしても。

生きている人間が、生き続けるために、出来る限り、歩こうと思う。てくてく。葬儀の日の空は、能登の、あの風景の、惚けていく光の仄暗さとは真逆の晴天だった。

記憶と、郷愁。
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